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『悲しみよこんにちは』 フランソワーズ・サガン

  • 執筆者の写真: khay3838
    khay3838
  • 3月14日
  • 読了時間: 4分

この本を最初に知ったのは恐らく高校生くらいのときに母に勧められたからだったと記憶している。

一度読んで、タイトルの割には大したこと無いな、くらいにしか思わなかったのだと思う。

文学少年ではなかったけど男子校のソフトテニス部でロシア文学をかじったりしていたものだからこの手の小説にビビッと来る要素はなかったのだろう。それは仕方ない。

だが、その後も母から勧められた(母が若かりしときに好きだった本)ということで名前は忘れることはなかったし(忘れようにもない強いタイトルだし)、いつか読み返そうくらいには思っていた。

この前に帰国したときにたくさん本をベトナムに持っていくついでに家にあったこの本を久しぶりに見つけ、嬉々としてトランクケースに放り込んだ。


最近の自分の読書傾向からすると、やはりかなり軽いタイプの小説には間違いないのだが、青少年時代に読んでよく価値をわからなかったあの時とは比べ物にならないほどの迫力をもって物語が眼前に現れた。

これが母の少女時代に好きだった本という枕詞がなかったらまたそれは違った受け入れ方をするのかもしれないが、とにかく、感情に強く訴えかけられた。

パリっ子女子高生のオシャレで生意気な心情など、やはり男子校で部活ばかりしていた汗臭い日本の男子高校生にはわかりっこないわけだ。15年以上を経てようやく(多分もう少し前でもわかっていただろうが)、各登場人物の置かれた状況や心情がわかるようになった。そして愛に関する考え方。たとえば、


「あなたは愛というものを、少し単純に考えすぎているわ。それは、刹那的な高ぶりがいくつもつながっているだけのものではないの…」

わたしの恋愛はぜんぶそうだった、とわたしは思った。突然の胸の高ぶり―目の前にあるで、しぐさで、キスで…。花開く一瞬一瞬、でもそれぞれには、なんの一貫性もなくて。それがわたしの思い出のすべてだ。

「それはもっと別のものなの」アンヌは言った。「変わることのない思いやりや、やさしさや、さびしさや…あなたには理解できないさまざまなもの」


こんなことを女子高生に書かれてしまった日には、34歳にまでなってなるほどなるほどなんてうなずいている自分が恥ずかしくなる。


「…。シリルとの愛のおかげで、わたしは多くの恐れから開放された。それでも退屈と平穏が、なにより怖かった。父とわたしにとって、内面の平穏を保つには、外部の喧騒が必要なのだ。そしてそれを、アンヌは認めることができない。」


多分この本を読んでいたときは自分で選んだ育休だったにもかかわらず、転職活動のストレスや将来の先行きの不安、そして余りある時間があるのに有効に使えていない無念さなどが重なって鬱屈していたので、「退屈と平穏が、何より怖かった」という一文に妙に惹かれたのだと思う。


メロドラマチックだし、最後の決着の付け方などにいささかのもったいなさを感じるのだが、総じて優れた文学作品だと思ったし、恐らくこの先時代が変わっても(既に70年の月日が経っている!)、少女とおじさんにとって愛とか生活とかにインスピレーションを与え続けることだろう。


しかし、バカンス長すぎだろ!!






ついでに、もう一冊。

『肖像彫刻家』 篠田節子


彫刻家として大成せず、プライベートでは妻と子に逃げられた男がイタリアで7年間肖像彫刻の弟子入りをする。彼のつくる肖像彫刻には不思議な力が宿り、次第に様々な騒動に巻き込まれていく。

だいたいそんな感じのはなし。

面白くて一気に一日で読み切ってしまったのだが、やはりやや面白すぎるというか軽いというか、写実的というか、そのままテレビドラマになっているような感じがするのがちょっとつまらない。

おそらく、戦争と平和にせよ失われた時を求めてにせよ、同時代に読んでいた人にとっては鮮明すぎるくらい写実的だったのかもしれないが、、。

一節、最近の迷信関連の思いに大鉈を振ってくれた部分を掲載して終わりにする。


「もしおかしな現象が起きるとすれば、それは拝んだりそれを利用したりしようとする人の欲と願望が見せた幻であり、無関係の事象を結びつけることで理不尽な人生に納得しようとする人間の思考回路の生み出す虚構だ。」

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