『崩れゆく絆』 アチュべ
たくさん小説を読んでいるひとがブログで紹介していて知った本。
アフリカの小説ということで即買いした。
内容は、1890年から1900年頃の現ナイジェリアのイボ族が暮らす集落を舞台にして、誇り高き戦士で大志を抱く家父長制の権化のような主人公オコンクォとその家族が経験する日常を克明に描き出す一章。集落を追われ、母の田舎で辛酸を嘗めながらも研鑽を続ける七年間の期限付き流刑とその間にキリスト教と白人の世界が徐々に進行し、もはや包囲状態になっていくことを描く二章。もとの集落に戻ってきたはいいものの、キリスト教との争いで自業自得の運命をたどる三章。
なぜ章立てでこのように説明したかと言うと、その章立てがアフリカ文学の草分け的存在として、アフリカ文学の道標あるいはスタンダードとして後年認識されるほどよくできているからである。それは解説を読むまでもなく、文化人類学的な第一章で半分近くのヴォリュームをさき、第三章では怒涛の展開であっという間にストーリーが集結する。もちろん第二章は両者をつなぎ、ストーリー上も構成上もブリッジとして機能している。そんなことが読んでいながらよくわかったし、その単純な構成は「指輪物語」とかで永遠に導入が読み終えられないもの、あるいはまだ読み終わっていないけどどこまでが導入なのかすらわからない「失われた時を求めて」のようなものを思い出しつつ、第一章のイボ族の暮らしについては知らないことだらけで、とはいえ最近読んだタンザニアの本との比較ができたりして、非常に面白かったのだ。
ここ何年も考えつづけている宗教や伝統の話も交えてこの本を振り返ってみよう。
彼は行動の男、根っから戦いに向いていた。父親とは似ても似つかず、血を見ても眉ひとつ動かさない。先立っての戦争でも、真っ先に首を持ち帰ったのはオコンクォだった。なんとこれは、はや5つ目の首だったが、彼はまだそれほどの年でもなかった。村の名士の葬儀といった重要な場では、初めて獲った髑髏で椰子酒を飲むことにしていた。
なんと恐ろしい。生首のシーンは映画でよく見るし、髑髏がいっぱいあるのもパリのカタコンブで見たことがある。が、その2つがどうもうまくつながらない。生首を持ち帰ってきて、それを干して乾燥させて肉をこそぎ落として髑髏にするのか?それをつかって酒を飲むのか?あるいはどこかのタイミングで焼くのか?埋めるのか?話の本筋とは全く関係ないが不気味ながら気になってしまった。しかも、100年ちょっと前といえど、髑髏で椰子酒を飲むような野蛮な行為をしていたのか、と空恐ろしくなった。
注14
市場は単なる物の売買の場所ではなく、共同体の聖なる場および社会活動の中心地でもある。つまり聖と俗の領域が交差する場であり、一族全体には祖霊も含まれるという意味で重要な集会はこの地で行われる。
この他にも、曜日の代わりに4つの市の日で一週間が構成されるとあった。ABCDしかないわけなのに、どれも市の日というのはどういうわけかと訝しんだ。おそらく、市とか市場という日本語とは概念が違う言葉によって表されるものなのだと思う。
ほかの男が訊いた。「じゃあ俺たちが神々を捨てて、あんたの神に従えば、なおざりにされた神々やご先祖の怒りから、誰が守ってくれると言うんだ」
「あなたがたの神々は実在していません。だからなんの害もありません」白人は答えた。「あれはただの木切れや石ころです」
素晴らしい!このシーンは白人の宣教師が友好的に集落にやってきて勧誘活動をしているときの会話で、大地の女神や空の神、雷鳴の神、アニ、アマディオラ、イデミリ、オグウグウなどなどの土着の神々を鮮やかに一言で片付けてしまったあっぱれ白人牧師。自分のような立場からすると、この会話自体もナンセンスではあるのだが。
もし自分が死んだ後、息子たちがみなンウォイエに従い、ご先祖を見捨てるようなことになったらどうするのだ。オコンクォは、絶滅の予感にも似た恐ろしい可能性を考えて、ゾワゾワと悪寒が走るのを感じた。子どもたちが白人の神に祈っているあいだに、自分と父祖たちが先祖の社のまわりに群がり、待てども待てども礼拝もなされず、供物も用意されないまま、ただ過ぎ去りし日々の灰を見ている、という光景が思い浮かんだ。
オコンクォの第一の妻(彼はひとに秀でる男なので妻が三人いる)の第一の息子ンウォイエはオコンクォと違って男らしい一面が見えないまま育ち、一時期捕虜として預かっていた別の集落の少年を兄のように慕っていたが、父に殺されてしまったことを知り更に亀裂が深まっていったようで、彼はキリスト教に改宗し、家も出ていってしまっていた。そんな息子のことを考えていたオコンクォの心情描写が上記だ。伝統や習慣、宗教にしがみつく人たちというのは、まさにこのように考えるのだろうということでここに記したかった。供物もご先祖への祈りもみな今は存在しないなにかのための行為で、無駄なのだが、それを信じているひとにとっては最も大切なことでもあるのだ。そして、その信じるものを脅かされたときには怒りや恐怖が露出する。
解説から
イケメフナの死がもたらす効果はそれだけではない。この一件をきっかけとして、調和と柔軟性を保っているように見えるウムオフィア社会の内部に潜む亀裂が露見し始める。もちろん、、これは近隣の村との戦争を避け、平和的秩序を守るためにくだされた信託によるもので、共同体内部の論理では疑問の余地なく正当性を帯びる。しかしここで初めて、イケメフナの不安と恐怖を通して共同体外部(被抑圧者)の視点が挿入され、外側から見た際の価値観の両義性が明らかにされる。そしてこれ以後、ンウォイエやオビエリカと言った人物たちが心に秘める不安や葛藤、社会内部の異論の声が浮かび上がり、不可視化されていた被抑圧者の存在が前景化されていく。
だが内部の相違や矛盾が決定的に顕在化するのは、白人とキリスト教に出会うことで、ンウォイエや双子を生んだ母親など、社会規範の残酷な側面に不安と痛みを覚えていた者たちが「新しい信仰の詩情」に魂を揺さぶられ、自らの苦悩を表現する新しい言語と人間性を求めるようになる。キリスト教が社会の暗部に切り込んで勢力を伸ばすと、その本拠地となった悪霊の森では、被差別集団(オス)を中心とした改宗者たちの新しい共同体が成長していく。そしてついには、ウムオフィアと悪霊の森の関係性が逆転し、これまで禁忌の場とされてきた悪霊の森が道徳的権威の中心として肯定的な意味を帯び、反対に、ウムオフィアこそが双子を殺害し、ある社会階層を抑圧する非道で野蛮な場として浮上する。当初、白人はハンセン病患者やアルビノといった社会の周縁部に置かれた人々に関連付けられるが、このことも後に価値と権威が反転する展開の予兆になっていると言えるだろう。
注目すべきは、真っ先に改宗して植民地支配の側につくのが、共同体から抑圧を受けてきた者たちであることだ。ここには、キリスト教の「解放」のレトリックがいかに植民地に入り込んで機能し、それまでの社会や文化を転覆させていったかということが象徴的に表されている。たしかに、ある人々にとってはキリスト教が新たな可能性と解放の契機をもたらした。しかし同時に、キリスト教は植民地支配の論理と結びつき、社会が独自に変革し刷新していく能力と機会を、暴力的に、そして永久に奪い去ってしまうことになった。これは歴史的に見ても強調すべき点であろう。
いままでそれなりに本を読んできたとは思うけど、原住民側からの視点で発展世界の侵入を描いた作品は読んだことがなかったと思う。そして、ベトナムに来てから、さらに言えばタインホアの家族への考察などを経た今読むことができたので、なおさら面白かった。実に、自分は本を読むタイミングに恵まれている。運命の導きのようなものだ。で、何が言いたいかと言うと、土着の進行や伝統があるところに近現代が入ってきてすべてをガラッと変えてしまうというのは建築の世界でもよくある話で、コルビジェの時代はそれで良かったのだが、ポストモダンを経た我々の時代ではグローバルに対抗してローカルをどう打ち出していくかが非常に重要な議論なのだ。で、それがいきすぎて伝統最高と言っていると今の自分のようにその限界を見ることになる。この本では鮮やかにキリスト教が土着の宗教や文化から置き換わっていくのだが、どのようにしてそれが可能になるのかが疑問だった。例えば双子が生まれたら両方とも遺棄しなければいけないとか、皮膚病で死にそうになったら姥捨て山しなければならないとか色々縛りがあるのだが、村人は皆その掟に従っている。その他の行事や日常も多少の不満などはあったとしても革命など起こるはずもなく過ぎ去っていく。そこに救世主面するわけでもない、全くの外部者がやってきて、それに一定数の人々が流れてしまい−大きな代償を払ってでも−そしてその新しい宗教を熱烈に支持するようになる。
磁石のSからNへと一晩で変わってしまうようなものだ。その心理がわからない、と思っていたのだが、この解説を見るとたしかに掟によって成立している集落にあっても、人々の内部には鬱憤というか鬱屈と言うかマイナスの思いはマグマのように溜まっていたということだ。その反動でAからBになびく。で、おそらくだが、Aへの思いや習慣のようなものが強かったからこそBへの傾倒も激しくなるのだろう。大好きだった彼女が大嫌いになるのと同じレトリックだ。アフリカの国々での宗教は勝手な先入観だが、かなり強いように感じていて、それはおそらくこのような理由があるからだろうと少し納得した。
何れにせよ、宗教によって心を救われるような世界出会ってはならないと思う。
タロイモの栽培がそんなに難しいものなのか、タロイモがそんなにうまいものなのか、ヤギはどこで誰が世話しているのか、など日常生活のあれこれに気になりまくりだったが、常々思っていたことはフフを食べてみたい!ということだった。
やはり、食いしん坊精神に勝るものなし。
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