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『82年生まれ、キム・ジヨン』(映画)



数年前にかなり話題になっていた映画をようやく見た。

当時読んだ記事では、82年生まれの平均的な韓国人女性が家庭や社会で苦悩する姿を克明に描いており、それを見た人々から賛否の嵐が広がり社会現象となっている、というようなものだったと記憶しており、以来ずっと見なければいけないな〜と思っていた。

ネットフリックスで見つけたので下調べやトレイラーも確認せずに見てみたのだが、生後一ヶ月半の娘がいる自分(男性、出産に伴って仕事を辞めて専業主夫になった)というピンポイントなタイミングだったので大変興味深く引き込まれるようにして、と同時に批評的な視点で見ていた。



話の流れは


①高等教育を受けた(大卒)の女性が

②キャリアを築く上で葛藤を経験し

③結婚と出産を機に子育て(二歳の娘)に専念するが

④子育てや家事、夫の実家やらのストレスから心を病んでしまう(時々多重人格になる)

⑤それに気付いた夫は精神科の診療を勧めるが

⑥自分ではまだ病気に気づいていないので診療を受けない

⑦保育園のママ友(ほぼ初対面)やかつての同僚の話を聞いて仕事を始めようかと思い

⑧パン屋のアルバイトを検討するが夫に却下される

⑨元女上司から誘われてフルタイムの仕事を始めようとするも子供の預け先が見つからない

⑩夫は協力的で場合によっては一年間の育休を取ろうと言ってくれる

⑪義母に仕事の件でブチ切れられてやっぱり諦めることに

⑫心を病んでいることを知った実の母は自身の過去を投影しより深く傷つく

⑬精神科の診療を始め、自分と向き合うようになり、調子を戻していく

⑭カフェで他人から言われた心無い悪口に動揺するも、面と向かって言い返してやる

⑮月日が立ち夫は(おそらく)育休をとり子供の面倒見て、彼女は自分のキャリアを再開し、ハッピーエンド


と、こんな感じだ。

その他にももちろん興味深いエピソードや会話劇が挿入されているのだが上記が自分の考える主な骨格かつコメントを入れたいと考える部分だ。

この映画が社会現象を起こした要因としては、女性の生き辛さを非常にリアルに描き、多くの人の共感を引き出したことだろう。そして、共感だけではなく様々な議論を引き起こすトリガーが大量に仕込まれているので、異なる考えを持つひとたちを巻き込み社会現象になっていったのだろう。リアルタイムでないので、当時の社会現象や議論がどんなものだったのかというものはいくつかのブログや記事を確認しただけだが、そこでは語られていなかった部分(=自分がモヤモヤを感じた部分)について書いていこう。


2019年に読んだ日経の記事を見つけて読み返してみたら、男性からの批判について書かれていて面白かった。90年代産まれの男性はむしろ女性優遇社会になっている韓国ではむしろ男性が成長の芽を潰される逆差別社会になっていると憤る。それもそうなんだろう。


話を戻そう。つい最近専業主夫になった自分の琴線に触れたのは、若かりし主人公の回想シーンで男性社員がモーレツ女上司が出産後すぐに復帰したことに対し、その夫が可愛そうだなぜなら義母と生活しなければならないから、と言っていた部分だ。笑ってしまう話かもしれないが、これを実際に経験している身としてはよく言ってくれた!とスカッとした。とはいえ、そんなことを言ってしまう若い男性はこの映画においては完全に悪者として見られることだろう。だが、考えてみてほしい。カフェで悪口を言われた主人公があなたは私のことを知っていますか?私がどんな気持ちでどうしてここにいるのか知っていますか?と言って売られた喧嘩を買って多くの観客がスカッとするシーン。観客は彼女に感情移入していて、彼女のストラグリングを仮想体験してきているから彼女が正義だと思うのだが、この映画があの悪口を言っていた男の視点で作られていたとしたらどうだろうか?辛い幼少期があって性的虐待のトラウマがあって母親というものに恐怖感と嫌悪感を持ってしまったけど勉強を頑張って立派な会社に就職して仕事を頑張って、みたいな背景があったとしたらどうだろうか?「あなたは私のことを知っているの?」とそっくりそのまま返してもいいのではないか?(もちろんこれは暴論であることは承知の上で、あくまでたとえ話として。そもそもこの男の暴言は仮に大変なバックグラウンドを持っていたとしても許されざるものだし、周りにいる人達や店員もこぼれたコーヒーの掃除を手伝ってあげないのかい!と自分はブチギレていたのだが。)


と、いうことで自分の話になってしまうが実際問題言葉の通じない、バックグラウンドがスーパー異なる義母がテロのようにいきなり田舎からやってきていつ帰るかもわからず、毎食全く同じものだけを食べ続け、自分の家なのに毎晩ソファで寝て、自分の娘に抱いたり話しかけたりすることにイチイチ大声でわけのわからないことを叫ばれて、妻も旧弊な母に閉口することもあるが自分の母親を無下にもできない様子を見て取れて、しまいには愛する妻との関係も悪化してしまう、などのことを考えたら、義母と暮らすことが大変なのだ、という発言は正当とも言えるだろう。


まだ何も作品については論じていないのに結論のようなものにたどり着いてしまったのだが、人それぞれの考え方と経験とがあって、それを押し付けられてしまうとそりゃストレスになりますよ、ということだ。


この映画の主人公の場合、義母にいじめられた部分は直接的なストレスだったが、病気になってしまうほどのストレスは実はそこではなく、女性が自分を犠牲にしなければならないという、社会的な通念、曖昧ではあるものの非常に巨大で強固な相手だったのだ。


さて、ようやくスタートラインに立てた。

筋書きについて考えていこう。


①高等教育を受けた(大卒)の女性が

②キャリアを築く上で葛藤を経験し

そもそも大卒、キャリア、既婚というだけでも実は今どきの世の中に於いて、マイノリティではないにせよ実はまずまず恵まれているのでは無いのではないか。日本では(かなり大雑把)人工の半分ちょっとが大卒で、人口の2/3が既婚。なので全人口の1/2の女性の1/2が大卒でそのうちの2/3が既婚者なので1/6、女性だけに限って言えば1/3の人たちの話、ということになる。

高等教育もキャリアもない人からしてみたら、そちらさんはそちらさんで大変ですね、でもいい家に住んで家族もいて毎日食事してカフェにも行って、何がまだ不満なんですか?と考えてもおかしくないだろう。

まあ、これは「誰も取り残さない社会」的な考え方でうざいのだが、前提条件としてこの話題はある程度高い水準の社会生活を送っている人たちの話であることは忘れてはならないと思う。



③結婚と出産を機に子育て(二歳の娘)に専念するが

④子育てや家事、夫の実家やらのストレスから心を病んでしまう(時々多重人格になる)

日本では産休と育休で1年位休めて、その後職場復帰するのが普通のようだが、マミートラックとか保育園落ちた死ね日本とかそういう問題はあるとしても、キャリア組がこんなに長く家にいるものなのだろうか?という単純な疑問は持った。自分が大企業的な社会を全く経験していないので新聞や数少ない友人の話からしかの推測でしか無いのでこればっかりは本当にわからない。とまれ、学業もキャリアもバリッとやってきた人たちにとって(男女問わず)、いきなり仕事を取り上げられて家で家事と永遠的な子供の世話をしなければならないのは地獄だ。人によってはガス抜きができたり、神経質にならなかったりするのだろうけど、マタニティブルーとか産後鬱とかはホルモンバランスだけでなく、自分が社会的に必要とされていないのではないか、という自己の中にある社会性も大きく関わっているのだと思う。

妻とは妊娠する前からそんな話をよくしていて、経済的なことは置いておいて、仕事をしないでいることが果たして可能かという問に対して出た答えは否だった。彼女はキャリア形成とか上昇志向とかそういうものはあまり持ち合わせていないのだが、家でジッとしているより社会に出て何かをしたいという、根本的な欲求のようなものがある限り、専業主婦は無理だろうと考えるのだ。そんなことを言っておきながら自分自身は専業主夫になったのだが、これは期限は決まっていないが最大一年の一時的なものであるし、フリーランサーやリモートワーク、あるいは起業を見据えての選択なので映画の彼女とは置かれている状況が全然違う。



⑤それに気付いた夫は精神科の診療を勧めるが

⑥自分ではまだ病気に気づいていないので診療を受けない

この夫はイケメンで優しくて、気遣いができて、娘のお風呂のために時々早く帰ってきたり、と一般的には良い夫なのだが、おそらく女性陣からしたら理想的とは言えないだろう。結婚当初から料理は女のすること、理不尽な姑から妻を守ってやれない、家事はほとんどやらず(でもまあ妻は専業主夫だから仕方がないとも思えるが)、あんまり仕事がなさそうなのに残業したり、とダメ出しポイントは多数ある。自分が彼に抱いた疑念というか不信感のようなものは、以下


  1. 妻とのコミュニケーションが(二人の問題だが)不足していること

  2. 精神科になぜ一緒に行ってあげないのか

  3. 姑の暴走を止められないこと


この夫婦は美男美女でお互いを気遣って愛し合っているようなのだが、本音のコミュニケーションをとっていない、付き合いたての彼氏彼女みたいに見えるのだ。喧嘩でもなんでもしてもいいからもっと腹を割って心が繋がっていれば彼女はこんな病気にならなかったのではないか、と思える。

で、仕事中に妻の症状をしらべて一人で精神科医に相談に行ったりするのだが、だったら会社を休んで付き添ってあげればいいのに!?名刺だけ渡されて精神科医に自分から連絡して門戸を叩くのは相当な勇気がいると思う。

姑はマジでぶっ殺してやりたいウザいやつで、こうなるのを避けるために自分は国際結婚をしたくらいなのだが、これは有史以来避けられない問題なのだろう。だが、今年は実家に行かないようにしようとかいう実現可能性が低い提案をするくらいなら問題発言を聞いた時にすぐに「おい母さんそれはないだろう」と言ってやれば、そしてそれを続けていれば状況は改善されるであろうに。



⑦保育園のママ友(ほぼ初対面)やかつての同僚の話を聞いて仕事を始めようかと思い

このプロットはかなり面白く見ていた。

ママ友が全くいない彼女は、マジで一人ぼっちのようだ。

周りのママ友たちは現在の状況を笑い飛ばしてたくましく生きているが、(英語字幕だったので読めていない部分もあるのだが)彼女たちよりも主人公はおそらく高学歴でキャリア的にも上なので、専業主婦化した人たちとは一線を画している、というような構造に見えた。もしそうだとすると、そっち側(日本でいうと幼稚園ママVS保育園ママといったところか)からの怒声が聞こえてきてもおかしくはないのではないか。

とはいえ、周りに頼れる友達もいなく、週末に会う実家の家族だけというのではやはり孤立しやすく、心を病んでしまう土壌を作っているのかもしれない。お高くとまっちゃって何よ!と反感を買っていじめられても仕方がないかもしれない。そうなったら四面楚歌過ぎてより地獄だな。



⑧パン屋のアルバイトを検討するが夫に却下される

夫が声を荒げて却下するシーンだが、これはどう読み取るかが難しい。

優しいイケメン夫は彼女の病気のことを考えて何言ってんだい!と怒鳴ってしまうが、そんなことも露知らずの彼女からしてみたら、家父長制度的な社会システムに押し殺された、あるいは男が稼ぐべしという夫のプライドを傷つけてしまった、という見方もできる。このあたりもやはりコミュニケーション不足が影響しているのではないだろうか。



⑨元女上司から誘われてフルタイムの仕事を始めようとするも子供の預け先が見つからない

⑩夫は協力的で場合によっては一年間の育休を取ろうと言ってくれる

⑪義母に仕事の件でブチ切れられてやっぱり諦めることに

彼女が当時優秀だったこと、元上司と良好な関係を持っていたことを考えると大いに可能性はあるが、非常にラッキーなことだろう。おそらく現実世界ではこんな機会はなかなか訪れないのではないだろうか?

そして、イケメン夫の最大の見せ場、なんと一年の育休!!これは日本社会ではこの映画が公開された5年がたった今でもまだまだ夢物語的な話だろう。友人は一年の育休をとっていたが、彼の場合は会社側にかなり特別な理解と受け入れざるを得ない立場というものがあったからだが、数日の育休も申請できない(らしい)日本の会社の記事を読むにつけ、このイケメン夫の発言は英雄的とも受け取れると思った。

ブチギレた義母の台詞でこの英雄的育休が現実には非常に難しいもの(ダディートラック)であることが描写されて映画としての現実的写実性を担保している。



⑫心を病んでいることを知った実の母は自身の過去を投影しより深く傷つく

この映画のよくできている点は、主人公に常に焦点を当てながら、彼女の過去の回想シーンを挟むことで、彼女の母、そして祖母の時代から続く女性の社会進出というテーマをより重層的に描いていることだ。

このお母さんは賢かったけど弟たちを学校に行かせるために裁縫工場で働いていた。そこで大きな怪我をしていたり、学校の先生になる夢を諦めたりしている。だからこそ娘の現状を知った母はより深く傷ついてしまうのだ。

一方で教師になった姉はおそらくアラフォーだけど独身女性として親戚や実の母親にも歯に衣着せぬ物言いで元気よく生きている。この姉のキャラクターに元気をもらったとかいう女性が多数いるらしいが(フェミニズム系ウェブマガジンの記事参照)、この女性だって別の見方からしたら将来は生涯独身の負け組、あるいは性的マイノリティ(の可能性もあるよね?)とかいろいろな見方ができるわけで、サブキャラクターだからいい気分で見られるけど、そんなに簡単な話じゃないのでは、と思った。



⑬精神科の診療を始め、自分と向き合うようになり、調子を戻していく

⑭カフェで他人から言われた心無い悪口に動揺するも、面と向かって言い返してやる

この部分はさんざん前半に書いたのでそちらを参照。


⑮月日が立ち夫は(おそらく)育休をとり子供の面倒見て、彼女は自分のキャリアを再開し、ハッピーエンド

原作はバッドエンドらしいのだが、やはり興行収入とか、社会へ一石を投じるトリガーとなるべくしての映画とか考えるとこのハッピーエンドは納得感がある。だが、あのイケメン夫がやはりちょっと気に入らなかったり。

で、もう少し踏み入って考えてみると育休が終わった後に共働きになって世帯収入は向上するのか、ちゃんと保育園は見つけられるのか、マミートラック、ダディートラックには陥らないでいられるのか、仮に二人目ができたとか作りたいとなったときにはどうなるのか、クソ義母との関係性は改善されるのかとか、この娘はちゃんとした人間になるのか、充分な教育を受けられるのか、この娘が将来大人になった時に社会はどうなっているのかとか不安や懸念は尽きないのだが、それが人生というもので、良くなったり悪くなったり絶えず変化を続けていて、社会も個人もみな精一杯やっていて、自分たちはそのある一断面のごく小さな一部に過ぎないのだ、と考えればなんとなく気が晴れるんじゃないかな。




随分と大作な映画レビューというか自分の今の生活を語る文章になってしまったが、今は時間があるのだからこの形式で文章を書くようにしていこう。



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